新潟県長岡市の街中から車を約30分走らせると、棚田の美しい世界が広がる山古志と呼ばれるエリアへ入っていきます。2004年の中越地震で壊滅的な被害を受け、3年間の全村避難を余儀なくされた山古志。しかしそれから復興へと歩み続けた結果、今では日本の原風景ともいうような山の暮らしを再生させ、多くの人を魅了しています。
そんな山古志にある、国の指定無形文化財が「牛の角突き」です 。歴史は古く、1000年以上前から行われていたと言われ、勝敗をつけずに終わらせるのが、その特徴。牛がぶつかりあう迫力もさることながら、闘かっている牛同士を勢子と呼ばれる男性が引き放す場面も手に汗握る瞬間で見ごたえがあり、内外から多くの人が観戦に訪れます 。
ただ、近年は角突きの担い手の高齢化が進んでいます。
そうした状況の中、今年2016年の4月から、牛主(闘牛用の牛の持ち主)になったのが、森山明子さんです。森山さんは現在、「小豆丸」という牛の牛主として、牛の角突きに参加しています。
しかし、たとえ牛主であっても、伝統的に女性は角突きの土俵に入ることは許されません。また、牛主は牛を買って、エサ代や世話にかかる経費を負担しなければならず、もちろん黒字になることはありません。
そこまでして、なぜ、森山さんは牛主になったのでしょうか。山古志の闘牛会で、現在たった二人しかいない女性牛主の一人である森山さんに話を聞きました。