The BioCommunity Future Creation City Nagaoka
柱時計が刻み続ける”業火の記憶”。ある一家の、空襲の夜の物語
ボーン、ボーン、ボーン……。1945年8月1日の夜。柱時計の午後11時を告げる音が、空襲から逃げようとしていた今泉長治(ちょうじ)さん(当時42歳)の耳を打ちました。家族の自慢だった舶来の時計をなんとか残したい一心で、長治さんは急ぎ時計を貯蔵用の防空壕に移して家から飛び出し、焼夷弾が降る中、近くの川の橋の下に逃げ込みました。
太平洋戦争の末期、新潟県長岡市で、1480余名の犠牲者を出した長岡空襲から今年で73年。その時の柱時計は空襲の業火をしのぎ、今も今泉家の居間で時を刻み続けています。長治さんの長男の弥(わたる)さん(84歳)に、長岡空襲と今泉家の柱時計のお話を聞かせていただきました。
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